
カーネーションは買うものと思っていた私。
友人から苗を頂いて植えたらこの通り、立派なカーネーションが咲いた。

8月6日が来るたびに思うこと。
原爆投下日は勿論の事。
私が思うのは亡くなった父の事。
原爆投下直後に後片付けに入った父の悲惨な話。
市内から一つ手前の駅まで汽車に乗り、そこから徒歩で中心地へ。
建物はおろか、人人人・・・原爆の鋭火に焼かれた人々の群れ。
道路は勿論の事、水を求めて川の中まで人が重なり合っていた。
目の前の地獄絵に信じられないものを見たという。
遺体の搬送に携わったものの、それでは間に合わず・・・。
切れた電線を輪にし首に引っ掛け、ずるずるとひこじりあちこちで山を作り焼いたと言う。
自分でも信じられないことを無言でモクモクとやったのだと思う。
お昼に配られるおにぎりは、泥水で洗った手と周囲の匂いに負け、のどを通らなかったとのこと。
異様な体験は後々思い出され死ぬまで忘れられなかったと思う。
惨劇の上に成り立っている 今の自分達の幸せを素直に喜んでいいのだろうか。
あの町を、わいわいがやがやと通り抜けていいのだろうか。
そんな疑問を持ちながら・・・・。
私が思い出す父の姿は、日本手ぬぐいを水で濡らし頭にきつくきつく巻き こめかみに血管が浮き出た その姿が一番多い。
被爆者であるが故の苦しい頭痛だったんでしょう。
「頭が割れるようなんよ。」と、手ぬぐいできつく縛り 置き薬に頼っていた父。
被爆者手帳を持参しながらそれの恩恵も利用しようとはせず、それどころか僅かの被爆者手当てにも
「もったいない、ありがたい。」
を言っていた父。
頭が割れるほどの頭痛に耐えながら、沢山の子供たちを育ててくれた父。
かっこいい角刈りを死ぬまで通した父、短いと少しは頭の痛みが和らぐように思っていたのだろうか。
それでも子供たちに向ける鉢巻の下の目は、いつも優しいまなざしだった。
こんな父の子に生まれたのに・・・。
暑い、寒い、痛い、しんどいをすぐ口にする私は、反省しなければ・・・・・・。
父のような大きな人間にはなれない、ごめんなさい。
8月6日
亡くなった多くの方々のご冥福を祈り、父に改めて感謝をする日です。
たくさんの方の犠牲の下に今の幸せがあるんでしょうね。感謝の気持ちを忘れずに、生きなきゃいけないんだと最近つくづく思います。
原爆投下時間、当地でも防災放送が一分間の黙祷を呼びかけます。
たったそれだけのことでも何か意味があるような気がして少し心強いです。
広島の方角に、おじいちゃんたちのことを思いながら、短い黙祷。
それにしてもおじいちゃんの話もっと真剣に聞いておけば良かった。
想像のうえの出来事に思えてしまいます。
いつもいつでもいつまでも自戒しながら
先達の作った道を歩いてゆこうと思える
毎年の8月6日です。
そんな気持ちを今年も
思い出させていただき
ありがとうございます。
亡くなった父はとってもかっこよく(私から見ればですよ。)末っ子の私は特に可愛がってくれました。
当日まだこの世に生を受けていない自分ですが、この惨劇を物語のように語っていただけじゃ駄目だと思います。
かといって自分に出来る事は・・・・・。
◎はつかで先生
語り継がれると言う事はとても大切な事だと思います。
装飾されたり、時には青少年の命の終わりを美化されるのはたまりませんが。
素直な、本当の心の中を語り継いでもらいたいと思います。
◎む1さん
私ももっともっと、深く聞いておくべきでした。
もっとも、度々話してくれる父ではなかったけどね。
黙祷してくれたんですね。
ありがとう。